千種有宗の「こころなき身ゆゑ」

歴史・文化・詩歌・音楽について語ります。

拙ブログの表題について

 

はじめに

 

 みなさま、こんにちは。千種有宗です。

 

 英国のダニエル・デフォーが書いた小説に、『ロビンソン=クルーソー』というものがあります。無人島に漂着したロビンソン=クルーソーが過酷な体験を重ねて帰国するまでの28年間を描いた物語ですね。これは18世紀前半の貿易・植民活動を背景に書かれ、また後の文化にも大きな影響を与えたことから、受験世界史の重要用語として『詳説世界史B』でも太字になっています。

 

 ところで、この『ロビンソン・クルーソー』。初版の正式な表題はとても長いのです。

 

"The Life and Strange Surprizing Adventures of Robinson Crusoe, of York, Mariner: Who lived Eight and Twenty Years, all alone in an un-inhabited Island on the Coast of America, near the Mouth of the Great River of Oroonoque; Having been cast on Shore by Shipwreck, wherein all the Men perished but himself. With An Account how he was at last as strangely deliver'd by Pyrates, Written by Himself"

 

『他の船員全員が死亡した難破に遭いながら、オルノーコ河口近くのアメリカ大陸沿岸にある無人島でたった一人で28年間生き続け、挙げ句の果てに奇しくも海賊に助け出された、ヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーがみずから物語る、数奇で驚くべき彼の人生と冒険』

 

 読めば小説の内容が判ってしまう、最近のライトノベルのような表題ですね。夏目漱石はデフォーを「頭から詩を軽蔑した男である」と評し*1、「デフォーの小説はある意味において無理想現実主義の十八世紀を最下等の側面より代表するものである」と喝破しましたが*2、私も小説に長々しい表題を付けるデフォーのような人間は好きません。私自身が無味乾燥な人間でありたくないからです。

 しかし一方で、私は漱石のような詩心がないことも自覚しています。結局私もデフォーと同じような無味乾燥な人間なのです。したがって、私の隨想を書き留めるこのブログも、必然無味乾燥なものになるでしょう。「こころなき身ゆゑ」という拙ブログの表題には、そうした自嘲が込められているのです。

 

 以下詳しく語ってゆきましょう。

 

 

 

「こころなき身」と西行

 

 「心なき身」。

 これは次の西行法師の和歌から借りたものです。『新古今和歌集』に入撰している著名な一首ですね。

 

こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ

 

もののあわれを解しないわたしのような身にも、この趣にはしみじみと心うたれるなあ。鴫が飛び立つ沢の夕暮れ時の……*3

 

 『新古今和歌集』は、後鳥羽院の勅(ご命令)によって撰ばれた和歌集です。こうした勅撰和歌集に撰ばれることは、詠み手とその歌が優れていることの証左になりますから、詠み手にとっては大変名誉なことです。今で言えば、天皇陛下が毎年お召しになる歌会始において、自分の歌が撰に預かるようなものでしょう。

 その『新古今和歌集』に最多の94首入撰しているのが、西行法師です。後鳥羽院は次のように西行を評していらっしゃいます。

 

西行はおもしろくてしかも心殊に深くあわれなる、ありがたく出来しがたきかたも共にあひかねてみゆ。生得の歌人とおぼゆ。これによりて、おぼろげの人のまねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり。*4

 

 院の仰せのように、西行法師のあの哀しい美意識を言葉で言い表すのは難しいことです。しかし、彼の歌を詠むと、どうしようもなくあはれな気持ちが溢れんばかりに湧き出てくるのです。彼が「鴫立沢の秋の夕暮れ」という世界を感じたときにその胸に溢れたであろう「あはれ」を、歌を通して感じることができるのです。

  そのような感動は、『ロビンソン・クルーソー』のような報告書染みた小説を読んだところで味わうことはできません。詩心に秀でた者のたった一首は、デフォーの長々しい小説よりもずっと価値があるのです。したがって、私は人の心を動かすことのできる詩心を持つ人を尊敬しており、中でもそれに優れた西行法師の一首から借りて、拙ブログの表題を付けることにしたのです。

 

 もっとも、西行法師が、こころなき身「にも」(でさえも)と謙遜をした(彼は明らかに「こころある身」なのですから)のに対して、拙ブログの表題は、こころなき身「ゆゑ」(だから)としています。

 これは自嘲であると同時に、開き直りでもあります。私は、西行法師とは違って本当に「こころなき身」、詩心のない人、常識人の感性から外れた人、デフォーのような無味乾燥な人間です。卑近な言葉で言えば、「ひねくれ者」なのです。したがって、私の隨想を書き留めるこのブログも、無味乾燥でひねくれたものにになってしまうでしょう。しかし、それはご寛恕願いたい。そのような開き直りが、「ゆゑ」という一語に込められているのです。

 

 以上のように、「こころなき身ゆゑ」、ひねくれた内容になろうかと思いますが、暇な時に拙ブログを読んでいただければと思います。

 それでは今日は此の辺で。ありがとうございました。

 

 


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*1:夏目漱石「文学評論」『漱石全集』第十九巻、岩波書店、1957年、358頁

*2:同上、349頁

*3:久保田淳校注『新潮日本古典集成 新古今和歌集上』新潮社、1979年参照

*4:後鳥羽院御口伝」佐佐木信綱編『日本歌学大系』風間書店、1956年参照