千種有宗の「こころなき身ゆゑ」

歴史・文化・詩歌・音楽について語ります。

20年ぶりの手紙

noteからの転載です。

 

note.com

 

 私が中等部2年生のとき、国語科にA先生が赴任して来られた。

 先生はそれまでイタリアで日本語を教えておられたので、授業中には、雑談としてヨーロッパのことをよく話してくださった。当時日本から出たことのなかった私にはとても興味深いお話しであったから、もっと拝聴したいと思って、先生が放課後にお開きになっていた古典素読の会に加わったのである。

  先生は、我が国の古典を私たち(といっても、五、六人であるが)と一緒に音読され、ときにはヨーロッパの童話やラテン語の聖書をお配りになって、読み方を教えてくださった。先生は中でも『更級日記』を好まれていた。そういえば、堀辰雄の文章に、少年のころに『更級日記』を読んでどんなに感銘を受けたか語ったものがあったと思う。堀と同じように先生が『更級日記』という平安時代の女性の日記を好まれたのは、その感性の鋭さを表していると、今更ながらに感心させられる。それにしても、お忙しい中でよくぞあれほどの時間を私たちに費やしてくださった。結局私が高等部を卒業するまでお世話になったが、今でもあの時間は、私にとって最も貴重な時間だったと確信している。

 思い返してみるに、先生には、どこかこの世の人ではない雰囲気があった。

 敬虔なカトリックの信仰をお持ちであったことが、その理由の一つであろうとは思う。しかし、信仰を持たれている他の先生方には、そのような浮世離れした雰囲気はなかったのであるから、先生は他に独特の何かを持っておられたのだろう。表現するのは難しいが、いわば凪いだ海のようなものだろうか。あえて干渉して波紋を広げるのが畏れ多い、そのような感じがあった。決して厳しい方ではなかったが、気軽に話しかけられない雰囲気を醸しておられたのである。

 少数の素読の会でも、先生の浮世離れした雰囲気は変わらなかった。したがって、会がくだけた感じになることはなかった。会が毎年少数精鋭であったのも、私たちが気軽に友人を誘わなかったこともあるが、先生のあの独特の雰囲気が、無駄な人を寄せなかったのだろう。しかし、私が高等部を卒業するまで会が存続したということは、やはり先生のあの雰囲気は、ある種の人間にとっては魅力的だったらしい。

  そんな先生は、よく私たちに手紙をお書きになった。折々に郵便を通して挨拶を寄越されるのはもちろん、素読の会の終わりには、必ず上質な紙に万年筆を使って一言二言お書きになり、三つ折りにして私たちに渡された。その場で開く者もあったが、私は部屋に戻って寝る前に開いていた。時には和歌が書かれていることもあり、古語を辞書で引いて意味を調べたりもした。懐かしい思い出である。

  ところで、今このnoteをなにとなしに書いているのは、その手紙の数々を読んでいるからである。部屋を片付けようと意気込むと、こういうことがあって困る。結局、今日は部屋の片付けをやめることにした。やれやれである。

 


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