千種有宗の「こころなき身ゆゑ」

歴史・文化・詩歌・音楽について語ります。

タレス、熱中症で死す~「熱中症」の定義とは~

 

 

はじめに

 

 みなさま、こんにちは。千種有宗です。

 

 今朝、次の記事を目にしました。

 

news.yahoo.co.jp

 

 招致決定後まもなくから熱中症の予防と対策はオリンピック競技実施の大きな課題でした。夏が来る度に「この暑さでオリンピックは大丈夫なのかねえ」といった世間話をしたものです。

  しかし考えてみると、この「熱中症」という用語について、確たる定義をすることができない自分がいます。よい機会なので、熱中症の定義について少し考えてみることにしました。

 

 

 

熱中症の定義

 

 我が国においては、死亡分類のICDに「熱中症」という用語が用いられていないために、暑熱障害に関する用語の定義や用法にいくらかの混乱があったようです。しかし現在では暑熱障害の総称を「熱中症」とし、症状・病態によってこれを分類するのが一般的になっているようです。

 

 例えば、日本生気象学会は次のように熱中症を定義しています。

 

熱中症とは暑熱が原因となって発症する、「皮膚の障害などを除外した暑熱障害(heat disorders)」の総称で、熱失神、熱けいれん、熱疲労および熱射病に分類される。*1

 

 熱中症は「暑熱障害の総称」であり、病態によって分類されるということですね。同学会は、熱中症の病態である熱失神以下4つの病態についても、それぞれ次のように定義しています。

 

熱失神は、立位姿勢のための下肢への血液貯留と熱放散のための皮膚血管の拡張によって血圧が低下、脳血流が減少しておこるもので、めまい、失神などがみられる。

②熱けいれんは、大量に汗をかき、水だけを補給して血液の塩分濃度が低下した時に、足、腕、腹部の筋肉に痛みを伴ったけいれんがおこるもので、めまい、頭痛、吐き気などの症状があれば、熱疲労として扱う。

熱疲労は、たくさん汗をかくことによっておこる脱水とそのための循環不全(血液不足)による症状で、脱力感、倦怠感、めまい、頭痛、吐き気などがみられる。

④熱射病は、体温上昇のため中枢機能に異常をきたした状態で、意識障害(応答が鈍い、言動がおかしい、意識がない)がおこり、体温調節機能が失われるため外部からの冷却と救急救命処置なしには死に至るものである。 *2

 

 

 一方、日本救急医学会では、症状によって熱中症を分類しているようです。同学会の「熱中症診療ガイドライン2015」*3は、熱中症を次のように定義しています。

 

熱中症とは「暑熱環境における身体適応の障害によって起こる状態の総称」である。

 

 このように、同学会は暑熱障害によって起こる症状を一括して「熱中症」と定義したうえで、症状の重症度に応じて、熱中症を3段階に分類しています。

 

 つまり、めまい、立ちくらみ、生あくび、大量の発汗、筋肉痛などの症状がある場合は「Ⅰ度」。頭痛、嘔吐、倦怠感、虚脱感、集中力や判断力の低下などの症状がある場合は、「Ⅱ度」。意識障害、肝・腎機能障害、血液凝固異常などの症状がある場合には「Ⅲ度」になります。

 

 

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 この二つの定義を見るに、「熱中症」は「暑熱障害、ないしそれによって起こる症状の総称」と理解しておけば足りるようです。

 

 

 

タレス熱中症で死す

 

 このような定義からも明らかなように、人類は誕生以来熱中症と付き合ってきました。したがって、熱中症に関する記述も古く遡ることができます。例えば紀元前6世紀に活躍したタレスには、熱中症にまつわる逸話があります。

 

 

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タレス Wikipedia「Thales」より

 

 

 タレスイオニア植民都市ミレトスに生まれた人で、イオニア自然哲学の最初の一人でした。あとは「万物の根源(アルケー)は水である」と主張したことをおさえておけば、受験世界史では充分でしょう。もっとも、タレスはオリーブ油の相場を釣り上げて財産を築くなどの優れた商人でもあり、円が直径によって二等分されることなどを証明した幾何学者でもあるなど、多才な人でした。

 

(前略) 彼の活動は、幾何学天文学、地誌、土木技術の分野のみならず、政治的実践など広範囲にわたった。イオニアの中央に位置するテオス市に全イオニア人のための政庁を置き、その他のポリスは一地方区とする彼の改革案は、その政治的実践活動を、リュディア王クロイソスのためにハリュス川の流れを変え橋をかけることなくその川を渡らせたという話は、その土木技術を、リュディア人とペルシア人の戦争を終末に導いた日食を彼が予言したことは、その天文学的知識を、メソポタミア、エジプト旅行を通じて知ったエジプトの測地術を普遍的な学としての幾何学にまで高めたとされているのは、その幾何学的知識を明らかにするものといえよう。*4

 


 このような人でしたから、タレスには逸話がたくさんあります。予備校の講義では、アテネで財産政治を行ったソロンに独身主義を説いた逸話などを生徒たちに紹介しています*5が、ここでは、古代オリンピック競技を観戦していて熱中症によって死んだ、という逸話を紹介しておきましょう。

 

タレスは)体育競技を見物していて、暑熱と渇きと、そしてすでに老年であったために衰弱によって死んだ。 (中略) すべては水から生じて水に還る。そのような自然観を語った人が「脱水」で落命したとすれば皮肉である。*6 

 

 

 「熱中症」の定義からすれば、タレス熱中症のうち熱疲労を発症し、脱水症状を呈して死に至ったということになりますね。

 

 

 

おわりに

 

 今日は東京オリンピックの開会日です。どうやら無観客で行われるようですから、タレスのように観戦していて熱中症に、という事案は予想よりも少なくなるでしょう。しかし、選手や関係者は暑さに苦しめられ、熱中症に至ることもあるに違い有りません。今回のオリンピックは、本当に気の毒なことになりました。来年の北京オリンピックでは、熱中症に苦しむこともなさそうで、良いことです。もっとも、冬には冬の苦しみがありますけれどもね。

 

 それでは今日はこの辺で。ありがとうございました。

 

 


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*1:日本生気象学会「日常生活における熱中症予防指針Ver.3.1」(2021年6月3日、最終アクセス2021年7月23日)

*2:同上

*3:日本救急医学会「熱中症診療ガイドライン2015」(最終アクセス2021年7月23日)

*4:広川 洋一「タレス」『世界大百科』第2版、平凡社

*5:プルタルコス『英雄伝』上、村川堅太郎訳、ちくま学芸文庫、109-110頁

*6:ラエルティウス『ギリシア哲学者列伝』上、加来彰俊訳、岩波文庫1984年、45頁