千種有宗の「こころなき身ゆゑ」

歴史・文化・詩歌・音樂に就いて語る

【#6】國史餘話001「郵便報知新聞の大江直」

はじめに

 新聞記事の冒頭、或いは末尾に筆者の名が記されることがある。所謂署名記事である。筆者を特定できれば讀む價値のある内容か否かが判別できるので重寶するが、その署名の記者が實在するのかは果たして信用できない。

 今囘は、郵便報知新聞の大江直と云ふ記者に關する逸話を紹介する。

 

 

 

實在しない記者

 その前に、髙校日本史を振り返つておく。郵便報知新聞に就いて、受驗生は以下のことを覺えておかねばならない。

 

 明治十四年の政變で國會開設の敕諭が渙發されると、來る帝國議會召集に向けて政黨の結黨が相次いだ。そのうち同政變で下野した大隈重信が總理となり、明治15(1882)年には立憲改進黨が結黨された。同黨に參加した矢野龍溪は『郵便報知新聞』を買收して社長となり、犬養毅・尾﨑行雄を擁して改進黨の事實上の機關誌とした。同紙はもと前嶋密の企畫により明治5(1872)年に創刊した驛遞寮御用の大新聞で、改進黨の機關紙化してからは、立憲帝政黨の福地源一郞が發刊する『東京日日新聞』と論戰を展開した。明治27(1894年)に『報知新聞』と改題して通俗化し、羽仁もと子など女性記者を生んだ。昭和17(1942)年、戰時下の新聞統制で『讀賣新聞』に合倂されて廢刊となつた。

 

 さて、『郵便報知新聞』の記者には【#5】で引用した三田村鳶魚のほか、犬養毅、尾﨑行雄など有名所が竝んでゐる。そのなかに大江直と云ふ記者がゐるのだが、御存じだらうか。勿論、御存じの筈がない。何故なら、大江直は實在しないからだ。

 


 實は、大江直は『郵便報知新聞』記者が共有する筆名であつた*1。今でもさうだが、踏み込んだ話や淫靡な話は本名ではなかなかできない。そこで筆名を用ゐるのだが、『郵便報知新聞』記者のそれは、大江直だつた。

 同じく朝野新聞には髙井俊がゐた。この類の實在しない筆名記者は、樣々な分野に澤山の記事を書くものだから、彼らが實在しないと知らない者は、感心してしまふこともある。實際、髙井俊の記事を讀んで「凄い記者がゐるものだ」と、朝野新聞に髙井俊の引き拔きを求めた地方新聞もある。この時、朝野新聞は「髙井俊君ハ弊社ノ常置操觚員ナルカ故ニ、之ヲ他ニ出スヲ慾セザルナリ」と囘答したと傳はる。

 

 


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*1:以下、津田權平編『新聞投書家列傳初篇』東洲堂、明治14年、57-60頁、參照。