千種有宗の「こころなき身ゆゑ」

歴史・文化・詩歌・音樂に就いて語る

【#12】國史餘話002「吉備眞備と野馬臺詩」

はじめに

 今夏、ボストン美術館所藏品の展覽會「ボストン美術館展 芸術×力」が開催される。今囘は『吉備大臣入唐繪卷』も展覽されるやうだ。吉備眞備が入唐した際の活躍を描いた繪卷物で、關東大震災による不景氣で海外に流出しなければ國寶級の美術品だつたとよく云はれる。

 この繪卷物と大體同じ話が『江談抄』に語られているので、一つ紹介する*1

 

 

 

吉備眞備と「野馬臺詩」

 その前に、髙校日本史を振り返つておく。吉備眞備に就いて、受驗生は以下のことを覺えておかねばならない。

 

 養老元(717)年に玄昉・阿倍仲麻呂らと共に遣唐使として入唐した吉備眞備は、經史兵法等の諸學を學び、天平7(735)年に多數の典籍を攜へて歸朝した。彼が齎した最新知識は律令體制の發展及び唐文化の受容に大きく貢獻し、緊張する國際情勢の中にあつて、外交・國防の面でも橘諸兄ら朝廷の重臣に用ゐられた。聖武孝謙(稱德)兩天皇の信任も厚く、大宰少貳藤原廣嗣が眞備らを君側の奸と見做して反亂することもあつた。やがて藤原仲麻呂が臺頭すると筑前守次いで遣唐副使に左遷されて再び入唐したが、歸國後は昇進を重ね、天平寶字8(764)年に仲麻呂が反亂すると、兵法の知識を活かして鎭壓に功を上げ、天平神護2(766)年には破格の右大臣にまで昇つた。


 さて、『江談抄』は吉備眞備の樣々な傳說を傳へるが、そのうち「野馬臺詩」に關する傳說がある。

 

「野馬臺詩」*2

 

 「野馬臺詩」は、五言二十四句つまり百二十字から成る漢詩で、上の畫像が示すやうに、何處から讀めばよいのか一見して分からない、妙な順序で記されてゐる。『江談抄』が傳へるのは、「野馬臺詩」の讀み方を解讀したのが吉備眞備だ、と云ふ傳說である。

 傳說は次のやうに云ふ。

 

 

 吉備眞備が入唐した際、その才覺に嫉妬した唐の官人が眞備の學識を試さんと無理難題を迫つた。幽鬼となつてゐた安倍仲麻呂の亡魂の助けを得た眞備はこれを皆な退けたが、賴みの仲麻呂が結界に封じられてしまふと、眞備は玄宗の前に連れ出されて「野馬臺詩」を解讀せよと迫られた。眞備が困り果てて神佛に祈つたところ、一匹の蜘蛛が上から落ちてきて、「野馬臺詩」の上を絲を引いて這つた。眞備が蜘蛛の這つた後を追ひ字を讀んでゆくと、なんと無事解讀することができた。その後も苦勞があつたが、眞備は遂に我が國に歸朝することができたのである。

 

 

 その「東海姬氏國百世代天工」で始まる讀み方が、下の畫像である。

 

「埜馬臺詩」讀み方*3

 

 

むすび

 傳說では幽鬼となつてゐる阿倍仲麻呂は、眞備が二度目の入唐を終えて歸朝した後も生きてゐることは申し添えておく。また、『吉備大臣入唐繪卷』は「野馬臺詩」の段を缺いてゐるので、惡しからず。

 

 


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*1:『江談抄』卷三「吉備大臣入唐閒事」。「吉備大臣入唐習道之閒、諸道藝能博達聰惠也。唐土人頗有恥氣。密相議云、我等不安事也。不可劣先普通事。令登日本國使到來樓弖令居。此事委不可令聞カ。又件樓ニ宿 人多是難存。然只先登樓可試之。偏殺左ハ不忠也。歸ハ又無由。留天居ハ爲 我等頗有恥ナント。令居樓之閒、及深更風吹雨降鬼物伺來。吉備作隱身之封不見鬼天、吉備云、何物乎。我是日本國王使也。王事靡盬。鬼何伺ヤト云ニ、鬼云、尤爲悅。我モ日本國遣唐使也。慾言談承ト云ニ、吉備云樣、然ハ早入レ。然停鬼形相可來也ト云ニ隨天鬼歸人天着衣冠出來ルニ相謁ニ、鬼先云、我是遣唐使也。我子孫安倍氏侍ヤ。此事慾聞、干今不叶也。我ハ大臣ニテ來テ侍シニ、被登此樓テ不與食物シテ餓死シ也。其後鬼物ト成ル。登此樓人ニ無害心トモ自然ニ得害。如此相逢テ慾問本朝事ニ不答シテ死也。逢申貴下ニ所悅也。我子孫官位侍リヤ。吉備答、某人々々官位次第子孫之樣七八許令語、聞テ大感云、成悅聞此事至極也。此恩ニ貴下ニ此國事皆悉語申サント思也。吉備大感悅、尤大切也ト云々。天明鬼退歸畢。其朝開樓食物持來ルニ不得鬼害存命。唐人見之彌感云、希有事也ト云思ニ、其夕又鬼來テ云、此國ニ議事アリ。日本使才能奇異也。令讀書テ慾笑其誤云々。吉備云、何書乎、鬼云、此朝極難讀古書也。號文選トテ一部卅卷、緖家集ノ神妙ノ物ヲ所撰 集也ト云々。其時吉備云、此書ヲ聞テ令傳說哉如何。鬼云、我ハ不叶、貴下ヲ具申、彼沙汰ノ所ニテ爲令聞ト如何。閉樓タリ。爭カ可被出ヤト云ニ、鬼云、我ハ有飛行自在之術、到天聞ト思ト云天、出自樓戸隙相共到文選講所。於帝王宮、終夜率三十人儒子、終夜令講聞天、吉備聞之共歸樓。鬼云、令聞得哉如何。吉備云、聞畢。若舊曆十餘卷被求與乎ト云ニ、鬼受約、與曆十卷卽持來。吉備得之、文選上帙一卷ヲ端々ヲ三四枚ツ、令書天持ルニ、曆一兩日天誦ヲ皆悉ニ成。侍者シテ食物荷セテ文選ヲシテ令送樓ニ、儒者一人爲敕使慾試尓、文選ノ端破ツ、樓中ニ破散置。使唐人來者見之天各怪天云、此書ハ又ヤ待ト乞ニ、多也ト云テ令與ニ、敕使驚天此由ヲ申帝王ニ、此書又本朝尓有歟ト被問ニ、出來天巳經年序。號文選天人皆爲口實ト誦者也ト申ニ、唐人云、此土在之也ト云尓、吉備見合ト云テ乞請取卅卷天令書取、令渡日本也。又聞天云、唐人議云、才ハ有トモ藝ハ必モアラシ、以圍碁テ慾試ト云テ、以白石ヲハ擬日本、以黑石ハ擬唐土ニテ、以此勝負殺日本國客樣ヲ慾謀。鬼又聞天令告吉備。吉備令問聞圍碁有樣テ、就列樓計組人三百六十目ヲ計、別天指聖目、一夜之閒案持了之閒、唐土圍碁上手等撰定、集テ令打ニ、持ニテ打無勝負之時、吉備偸盜唐方黑石一飮了。慾決勝負之閒唐負了。唐人等云、希有事也ト。極テ怪ト云テ、 計石尓黑石不足。仍課ト筮占フニ之、盜テ飮ト云。推之大尓爭尓在腹中ニ。然者瀉藥ヲ服セシメントテ令服呵梨勒丸、以止封不瀉之、遂勝了。仍唐人大怒テ不與食之閒、鬼物每夜與食、巳及數月也。然又鬼來云、今度有議事、我力不及。髙名智德行密法僧寶志尓令課天、鬼物若靈人告カトテ令結界天、文ヲ作テ貴下ニ讀セント云事アリ。力モ不及ト云ニ、吉備術盡テ居之閒、如案下樓、於帝王前令讀ニ其文、吉備目暗テ、凡見此書字不見。向本朝方、暫訴申本朝佛神神者住吉大明神、佛者長谷寺觀音也、目頗明シテ文字許リ見ニ無可讀連樣ニ、蛛一俄落來テ干文上天イヲヒキテツゝクルヲミテ讀了。仍帝王并作者モ彌大驚テ、如元令登樓弖、偏不食物慾絕命。自今以後不可開樓ト云々。鬼物聞之告吉備。々々尤悲事也。若此土ニ曆百年タル雙六筒賽盤侍ラハ慾申請ト云尓、鬼云、在之ト云テ令求與。又筒棗盤楓。賽ヲ置枰上覆筒ニ、唐土ノ日月被封テ二三日許不現シテ、上從帝王下至諸人、唐土大驚騷叫喚無隙動天地。令占之、術道者令封隱之由推之。指方角ニ當吉備居住 樓。被問吉備尓答云、我ハ不知。若我ヲ强ク依被冤陵、一日祈念日本佛神、自有感應歟。可被還我於本朝者、日月何不現歟ト云尓、司令歸朝也。早可開ト云。仍取筒ハ日月共現。爲之吉備仍被歸也云々。江師云、此事我慥委ハ難無見書、故孝親朝臣之從先祖語傳之由被語也。又非無其謂。太畧粗書ニモ有所見歟。我朝髙名只在吉備大臣。文選圍碁野馬臺、此大臣德也」

*2:碇豊長「野馬臺詩」詩詞世界

*3:同上