千種有宗の「こころなき身ゆゑ」

歷史・文化・詩歌・音樂に就いて語る

【#33】腦死國家餘滴02「自裁への羨望」

 (承前)

【#31】腦死國家餘滴01「絕望なき祖國」

 

 

大内義弘の死に樣

 應永6(1399)年12月21日、室町幕府に背いた左京權大夫大内義弘が、堺に敗死した。その死に樣に就いて『大内氏實錄』は云ふ。

 

 義弘、民部 [森民部丞] が死せしを見て我を遮攔する者七八人を斬り倒し、滿家 [足利滿家] に廻りあひて死せんと働きしが、創を被ること二十九箇所、今朝よりの戰に力竭きて、天下無雙の名將大内左京權大夫義弘入道なり、首級を獲て御所樣 [足利義滿] の御眼にかけよと呼はりて、手に當る兵を攫み、二丈許あなたに擲ち、鎧をくつろぐるにいとまあらねば、一尺八寸の打刀を拔きて逆手に取り、我口より馬の鞍つぼまで差し通して死す。然れ共馬より落ちず。馬は驚きて駈け出すに、之を見て、また義弘の駈け出るはと、右往左往に避けしと云ふ。享年四十四歲なり。*1

 

 かうした壯絕な死に樣を晒したのは、義弘ばかりではない。古くは弟橘比賣命が倭建命の爲に入水したことを、近くは東日本大震災に遭難した人々の中に自分を捨てて他者を助ける者がゐたことを、我々は知る。我が國は髙貴なる自裁の話に事缺かない。

 

 

 畢竟、生は目的でなく手段である。それを知れば、生の目的の爲に自ら死を選ぶことも有り得べしと覺悟しておくのが當然である。縱ひ目的の達成が不可能になるとも、壯絕な死に樣を遂げれば、名譽を幾らか守ることができる。これ以上は無樣な生き樣を晒すのみと確信したならば、髙貴なる自裁を選ぶのが潔い。死に樣を以て生き樣と爲す譯ではないが、花は櫻木人は武士と云ふのが至言であらう。

 私は【#1】で、「執政府から君子が滅盡した以上、我が國は腦死したと云はねばならない。我が國が國家の體裁を保つてゐるのは、米國の世界霸權と謂ふ生命維持裝置に接續されてゐるからに過ぎない。我が國は米國に生殺與奪の權を握られた傀儡國家であり、米國と謂ふ傀儡師に全身を絲で括られてこの喜劇とも悲劇とも知れぬ世界に踊らされてゐる、醜い傀儡なのだ。さうして、無理に踊らされた擧句擦り切れて襤褸になり、崩壞する運命を待つてゐる」と云つた。

 斯くの如き無樣な生き樣、いや死に樣を晒してゐるのが我が國である。絕望の果てに希望を見出す可能性もなく、自裁することもできずに千載に渡る父祖の名譽を穢し續けてゐる腦死國家。そこに生きる大衆人たる私としては、やはり髙貴なる自裁を果たした者への羨望の念を起こさずに居られない。ここに幾つか擧げてみよう。まず、鳥居强右衞門勝商である*2

 

 

 

鳥居强右衞門勝商の死に樣

 天正3(1575)年、德川方に歸屬した長篠城の奧平貞昌は、武田勝賴の大軍一萬數千に包圍されてゐた。寡兵で善戰した貞昌であつたが、糧藏を落とされ食糧を失ひ、長篠城の陷落は必至となつた。そこで、家康の居る岡﨑城に援軍を求める使者を立てることになつた。その役に志願したのが、貞昌の家臣たる鳥居强右衞門勝商である。

 三河侵攻の橋頭堡である長篠城は武田德川兩氏が爭奪を繰り返した要衝である。信玄の西上作戰で武田方に奪はれたが、家康は信玄の死を察知するやこれを奪還し、武田方から離反した奧平に預けてゐた。この要衝たる長篠城を死守すると謂ふ戰略目的を實現すべく、鳥居は援軍要請と謂ふ具體的行動の實行者に名乘りを上げた。すなはち、武田軍の包圍を囘避して長篠城から岡﨑城に至る約65㎞の山道を走り、家康に長篠城の窮狀を訴へたのである。死を覺悟しなければ成し得ぬ行動であつた。尤も、家康は既に信長に援軍を求めてをり、合はせて三萬八千の大軍を以て長篠城へ發つ準備を行なつてゐた。つまり、鳥居の行動は實際には殆ど無駄であつた。

 

 

 家康から援軍の朗報を得た鳥居は、これを味方に傳へるべく卽日長篠城に引き返した。然し、途上で武田軍に捕らへられ、城門前で「援軍はない、降參せよ」と言へば命を助け家臣に迎へると甘言される。死を決心してゐた鳥居は甘言に乘つた振りをして、城門前で味方の援軍が近いことを叫んだ。鳥居はすぐ磔にかけられ殺されたが、彼の名譽の死が長篠城の籠城兵の士氣を奮ひ起こし、援軍が到着する迄の二日閒、城は守り通されたのだつた。壯絕な死に樣である。吉川英治は云ふ。

 

 「強右衛門ッ、強右衛門ッ。――申せ、なぜ黙っておるか」

 穴山梅雪の部下の河原弥太郎という者が、槍の柄で十字の杭をたたいた。すると、響きに応じるように、強右衛門は、くわッと、口を大きくあけて、

 「あら、なつかし、城中の衆ではお在さぬか。かくいうは、先夜お別れを告げた鳥居強右衛門勝商でござる。岡崎への使いの御返事、ここより申そう程に、耳をそばだてて聞き給えや――」

 明らかに声は届いてゆくとみえる。一瞬、武田方でも固唾をのんだ。強右衛門は唇をなめて、ふたたび、咽の奥まで朝の陽が映しこむばかり口を開いた。

 「――まず! 岐阜の信長どのには、すでに御出馬あつて、三万余の大軍、陸続と岡崎表よりこれへお進みあるぞッ。まった城之介どの(信忠)にもお出ましあられ、家康さま、信康さま、それぞれ野田の辺まで急がれ給い、すでに先手は一の宮、本野ヶ原にまんまんと陣取って候ぞ! 城御堅固にお持ちあれや。遅くも、三日のうちには、御運の開き、武田勢の末路、火を見るよりも瞭らかなれ。いま一息の頑張りですぞッ!」

 武田方の人々は跳び上がって、口々にさけんだ。

 「あッ。なにいう。――おのれッ」

 狼狽した武士たちは、十字架の下へ駈け寄って、宙に槍を交叉した。さッと陽にけむる鮮血の虹の中から、強右衛門のさけびが、まだ聞えていた。

 「おさらばーッ。城中の衆。……城中の方々」

 山も揺るぎ、河も哭いた。

 一死を天に抛って、強右衛門が最後に吐いた真実の声は、城中の戦友五百の人々の耳を明らかにつらぬいた。

 城兵たちは、眼のあたり、崇高な彼の死を見、また彼の犠牲によって、まったく滅失のどん底にあつた戦いの上に、煌々たる希望の告示をうけ、一瞬みなわれを忘れたかのように、

 「わあッーあ」

 「わあッ……」

 と、諸声あげて感泣した。*3

 

 また、『恐るべき子供たち』の主人公エリザベートも壯絕な死に樣を果たした者である。彼女は、愛する弟ポールが服毒したことに對する絕望の果てに、ポールと共に死ぬことが唯一の希望であることを見出し、ピストル自裁によりその希望を果たしたのだつた。

 

 

 

エリザベートの死に樣

 J.コクトーの『恐るべき子供たち』(Les Enfants terribles)の粗筋は、次の通りである*4

 

 

 主人公エリザベートとポールの姊弟は共嗜癖の關係にあつた。父親は居らず、病に臥せつてゐた母親が物語の冒頭で死んでしまふと、十六歲と十四歲の姊弟は子供部屋に於いて二人きりの生活を始め、共嗜癖の關係を深めてゆく。途中、エリザベートが自分に憧れる少女アガートを自宅に引き入れ、ポールも辭めてしまつた學校の同級生ジェラールを引き入れたので二人きりの生活は失はれるが、アガートとジェラールは姊弟の子供部屋に溶け込めず、姊弟の共嗜癖の關係は子供部屋に於いて維持されてゐた。物語の中盤には、エリザベートが若い冨豪ミカエルと結婚するなど、姊弟の共嗜癖の關係を危ふくする事件が度々起こるが、ミカエルが不慮の事故で死ぬなどして危機は退けられてゆく。しかし、ポールがアガートに思慕を寄せ始めると共嗜癖の關係は崩壞を始める。エリザベートはポールの戀の成就を阻むべく、アガートとジェラールの結婚を策謀する。ポールが自分のところに歸つて來るのを期待しての策謀だつたが、ポールはエリザベートの思惑から外れて、失戀の絕望に打ち拉がれたまま服毒自裁を試みる。弟の服毒に絕望したエリザベートは、ポールと共に死ぬべくピストルで自分の頭を擊ち、姊弟の魂が一つとなつて近親相姦の存在しない場所へと飛び去つてゆくところで物語は終る。

 

 

 この物語は、終始エリザベートに都合よく進む。母親が死ぬことによりエリザベートは看病と家事から解放されるし、ポールが學校を辭めたことで一日中二人きりで子供部屋に居ることが可能になつた。經濟的にはジェラールの叔父が援助してくれるので何の心配もないし、ミカエルが死ぬと莫大な遺產と豪華なアパートがエリザベートのものとなる。學校へ行つたり社會に出て働いたりせず、誰からも干涉されないで好きな人と好きなやうに生きたいと謂ふ、子供の願望がエリザベートに於いて實現してゐる。彼女は大人になることを拒否する enfant terrible ――恐るべき子供――なのである。

 エリザベートの好きな人とは無論弟ポールであり、好きなやうに生きるとは、ポールと二人きりの子供部屋で永遠に暮らすことである。而して、物語の中では彼女の願望を妨げる出來事が次々に起こつては排除されてゆく。例へば、ミカエルと結婚してエリザベートが彼のアパートに移ることになつたとき、ポールが同居を固辭したので姊弟の共嗜癖の關係が危ぶまれた。そこで、ミカエルは不慮の事故死と謂ふ形で排除されねばならなかつた。ミカエルが死んだ御蔭で姊弟はアパートで同居し、共嗜癖の關係を維持することができた。

 

 

 しかし、最後にエリザベートの願望を妨げたのは、他ならぬポールだつた。アガートに戀をしたポールは、アパートのギャラリーを衝立で仕切つて「自分だけの部屋」を作り、二人きりの子供部屋から脫してエリザベートを裏切つた。エリザベートの策謀でアガートがジェラールと結ばれるとポールは絕望して獨り服毒するのだが、これもエリザベートへの裏切りであつた。しかし、エリザベートは弟の死と謂ふ絕望の果てに希望を見出した。弟と共に死ぬと謂ふ希望である。

 ポールの身體に毒が囘つて死の痙攣を起こすまでの閒、エリザベートはピストルの引金に手を掛けて待つ。その束の閒は、彼女にとつて弟との近親相姦に等しかつた。死と謂ふ絕頂に於いてエクスタシス ekstasis に至るべく、彼女はポールの名を叫んで共に果てようと試みる。さうして、愈々ポールが息を引き取つた瞬閒、エリザベートは引き金を引いて自裁するのである。ここに姊弟の近親相姦は絕頂に達し、エクスタシスに至つた。エリザベートはポールと肉體的にも精神的にも一つとなつて、子供部屋に乘つて近親相姦の存在しない場所へと飛び去つてゆくのである。

 

 

 エリザベートは、絕望の果てにポールと共に死ぬことが唯一の希望であることを見出し、見事に希望を果たしたのである。エリザベートに於いて自裁は目的かつ手段であつた。この壯絕な死に樣を描いた卷末の數頁こそが、コクトーの描きたかつたことで、殘りの頁は殆ど蛇足に過ぎない。

 

 

 

自裁への羨望

 他に自裁を果たした者では、『銀河英雄伝説*5の銀河帝國皇帝フリードリヒ四世もゐる。彼は、腐れゆく黃金樹――ゴールデンバウム――の血統に絕望し、自分の死を以てゴールデンバウム朝の死を導引し、その死體からローエングラム朝を芽吹かせることが銀河帝國に殘された唯一の希望であることを見出した。さうして彼は、「どうせ滅びるなら、せいぜい華麗に滅びるがよいのだ」と言ひ、「何一つ決めない」ことを決心して緩慢な自裁に臨み、見事に希望を果たしたのである。

 

 

 以上、壯絕な死に樣を晒した者を見た。

 我が文化は、死に格別の意味を見出した文化である。縱ひ無樣な生き樣を晒すとも、死に樣が見事であればよしとする美意識が我が文化にはある。我が國は、「櫻花散るを惜しまず散りてこそまたかへり來む大和島根に」(宗治集・1)。このやうな辭世を殘して自裁すべきだつた。それが死に格別の美意識を見出した我が文化を背負ふ國家としての、最期の姿に相應しかつた。

 然るに、腦死した我が國は、最早自裁することさへできない。そこに生きる大衆人たる私としては、諦念と共に自裁への羨望を强めるばかりである。

 

 


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*1:大内氏實錄』世家第四「義弘」。[]内は筆者。

*2:以下、菊池寬「日本合戦譚」『菊池寬全集』第16卷所收、高松市菊池寬記念館、平成7年、參照。

*3:吉川英治新書太閤記」『吉川英治全集』第23卷、講談社、昭和42年、274-275頁。

*4:J.コクトー鈴木力衛譯『恐るべき子供たち岩波文庫昭和32年、參照。

*5:田中芳樹銀河英雄伝説』全10卷、徳間書店、昭和57-62年、參照。