千種有宗の「こころなき身ゆゑ」

歷史・文化・詩歌・音樂に就いて語る

【#44】腦死國家06「我が國家の崩壞」

(承前)

【#1】腦死國家01「亡國の音」

【#2】腦死國家02「文化と人民」

【#35】腦死國家03「文化と國家」

【#39】腦死國家04「一國人民の智德」

【#42】腦死國家05「我が文化の特質」

 

 

我が國家の崩壞

 文化は、國土の上に紡がれる歷史、すなはち長きに渡る文化人の模索實踐と庶民の日々の營爲により知德で滿たされ、文化を尊重する文化人と庶民を知德で滿たす。文化の一形態たる國家も亦同じである。

 國家を一人のヒトの身體に擬すれば、國民と庶民は、呼吸により空氣――文化――から取り入れた酸素――知德――を身體の各部分に運搬する赤血球に擬することができる。然るに、國民と庶民が大衆化するにつれ、赤血球は知德ではなく獸性と悖德を運搬するやうになり、血液は穢濁した。民主制と謂ふ媒介を通じて獸性と悖德が國家の頭腦たる執政府に運搬されると、知德を必要とする君子は窒死滅盡に追ひ込まれた。執政府に於ける君子の拂底を、私は腦死と表現する。

 

 

 腦死した身體は直ぐに心停止し、腐敗崩壞する筈である。我が國が國家の體裁を保つてゐるのは何故なのか。それは、米國の世界霸權と謂ふ生命維持裝置に接續されてゐるからである。我が國は、米國に强制的に生かされ、全身を絲で括られて、この喜劇とも悲劇とも知れぬ世界に踊らされてゐる傀儡なのだ。米國が我が國を生かしてゐるのは、我が國が腐敗崩壞すると、操る身體がなくなつて仕舞ふからに過ぎない。さうして、意思も活動もできない我が國は、米國に無理に踊らされた擧句、擦り切れて襤褸になり崩壞する運命を待つてゐる。

 

 

 さて、米國の世界霸權の後退に伴ひ、中共が地域霸權を獲得する情勢である。米國に生命維持裝置を切斷されてそのまま腐敗崩壞するか、中共の地域霸權と謂ふ新しい生命維持裝置に取り替へられるか、どちらにせよ不可逆の腦死に至つた我が國には大差ない。中共と謂ふ新しい傀儡師は米國よりも我が國を酷使するのかもしれないが、意思も活動もできない我が國は、無爲無策にそれを受け入れるほかない。

 僅かに殘つた國民にできることは、この美しい國土から吹き拂はれて仕舞ふべき祖國の崩壞を、安堵と共に哀しむほかないのだ。國家なくして國民なく、國民なくして國家なし。國家の死は國民の死である。ディアスポラ diaspora となるべき國民は、せめて文化人として我が文化を頽廢から保守し、發展の途に就かせてほしい。祖國は閒もなく亡びるが、文化の一形態たる國家は、文化が保守され發展する限り、亡びた國家と幾らかの連續性を有して、何時の日かこの國土の上に自生するだらう。それだけが、閒もなく祖國を失ふ國民の慰めである。非國民たる私としても、それを願ふ。

 

 


人気ブログランキング