千種有宗の「こころなき身ゆゑ」

歷史・文化・詩歌・音樂に就いて語る

【#45】古典講讀01「曾我物語:李將軍が事」

はじめに

 【#26】で、「石に立つ矢」に就いて次のやうに云つた。

 

 一心込めて事を爲せば必ず成るとの譬へである。『史記』李將軍列傳に、「廣出でて獵りし、草中の石を見、以て虎と爲して之を射、石に中りて鏃を沒す。之を視れば石なり。因りて復た更に之を射るも、終に復た石に入ること能はず」とあるのに拠る。李廣が石を虎と思ひ込んで射たところ石に矢が立つたが、石だと了解して射ると矢は立たなかつた、と云ふのだ。

 

 この故事に關連して、『曾我物語』卷七「李將軍が事」を講讀する。

 

 

 

曾我物語:李將軍が事

【本文】*1

 扨も鐮倉殿は、相澤が原に御座の由聞えしかば、此の人々も駒に鞭を添へて急ぎける。道にて十郞いひけるは、「名殘惜しかりつる故鄕も、一筋に思ひきりぬれば、心のひきかへて先へのみ急がれ候ふぞや」。時致聞きて「さん候ふ。思ふ程は現、過ぐれば夢にて候ふ、心のままに本意を遂げ、浮世を夢に成し果てて、早く淨土に生れつつ、戀しき父、名殘惜しかりつる母、かく申す我等まで、一つ蓮の緣とならん」とて、ひつかけひつかけうつて行く。稍ありて十郞申しけるは、「我等が有樣をものに譬ふれば、命々鳥に似たり。それをいかにといふに、大唐しくう山に雪深うして、春秋をわかざる山あり。其の山に頭は二つ胴一つある鳥あり。彼の山には靑き草なければ、食ふべきもの無し。されば、其の左の頭、偶餌食を求め服せんとすれば、右の頭中にて、取りて奪うて食ふ。或時、思ひけるは、所詮毒の蟲を求め、右の頭を退治せん、と思ひ、毒の蟲を求めいつもの如く服せんとす。彼の頭また奪うて食ふ、されば胴一つにてありぬれば、その身もいかでたまるべき。遂に空しくなる。其の鳥も明暮に、右は左をとらん、左は右をとらんとせしぞかし。我等も敵の手にやかからん、敵をや手にかけん、と思ふ憂身のながらへて、いつ迄物を思はまし。此の度はさりとも」と申しければ、五郞聞きて、「弱き御譬へ仰せ候ふものかな。何によつてか空しく敵の手にかかり候ふべき。本意を遂げて後は知り候はず、それは兎も角も候ひなん、事長くは候へ共、昔大國に李將軍とて、猛く勇める武勇の達者あり。一人の子の無き事天に祈る憐みにや、妻女懷姙す。將軍喜ぶ處に、女房言ふ樣、生きたる虎の肝をこそ願ひなれ。將軍易き事とて、多くの兵を引き連れ、野邊に出でて虎を狩りけるに、卻て將軍虎に喰はれて亡せにき。乘りたりけるうんしやうれうと言ふ馬、鞍の上空しくして歸りぬ。女房怪みて將軍虎に喰はれけるや、と問へば、れう淚を流し膝を折り泣けども叶はず。わが胎内の子は、父を害する敵なり、生れ落ちなば捨てん、と日數を待つ處に、月日に關守無ければ、程無く生れぬ。見れば男子なり。いつしか捨つべき事を忘れ、取り上げ、名をかうりよくと付けてもてなしけり。名將軍の子なれば、胎内より、父虎に喰はれけるを安からず思ひ、敵取るべき事をぞ思ひける。光陰矢の如し。かうりよく早七歲にぞなりにける。或時、父重代の刀をさし、角の着きたる弓に、神通の鏑矢を取り添へ、厩に下り、父乘りて死にけるうんしやうれうに向つて曰く、汝馬の中の將軍なり。然るに父の敵に志深し、父の取られける野邊に、我を具足せよ、と言ふに、馬黃なる淚を流して膝を折り、髙聲に嘶えけり。かうりよく大に喜びて、かのれうに乘り、馬に任せて行く程に、千里の野邊に出でて、七日七夜ぞ尋ねける。八日の夜半に及びて、ある谷閒に、獸多く集まり居たる其の中に、臥長一丈餘なる虎の、兩眼は日月を竝べたる樣にて、紅の舌を振りて臥しければ、肝魂を失ふべきに、さる將軍の子なりければ、是こそ父の敵よ、と矢取つて差し番ひ、よつぴいて放つ。過たず虎の左の眼に射立てたり。少し弱ると見えければ、かうりよく馬より飛んで下り、腰の刀を拔き、虎を切らんと見ければ、虎にては無くして年經たる石の苔蒸したるにてぞありける。かやうの志にて、つひに敵を討つ。今の世に石竹と言ふ草、かうりよくが射ける矢なり、とぞ申し傳へたる。されば弓取の子は、七歲になれば、親の敵を討つとは、此のこころなり。志により、石にも矢のたちさふらふぞや。歌にもこのこころをよみけるにや、

  虎と見て射る矢の石に立つものをなど我が戀のとほらざるべき」

十郞聞きて、「や殿、歌物語心得ず。祐成如何なる鬼神なりとも、逃さじとこそ思ふぞとよ、などわが敵討たであるべきと語れかし」「けにや折による歌物語、あしく申すと覺ゆるなり。歌は兎もあれ角もあれ、此の度は敵討たん事易かるべし。老少不定の習なれば、もし我等敵に先立たば、惡靈ともなりて、取るべき者をや」と戲れつつ、馬に鞭打ち急ぎけり。

 

 

【講義】

・心のひきかへて

 ハ行下二段活用の動詞「ひきかふ」の連用形。取り替へる。すつかり變へる。「ひきかふる冬のけしきの寂しさをまたきにみする秋の山里」(定家・拾遺愚草員外)。

・さん候ふ

 「さにさぶらふ」が元の形。然樣でござりまするな。

・一つ蓮の緣

 「一蓮托生」の意。極樂淨土で同じ蓮華の上に轉生すること。

・黃なる淚

 嘆き悲しんで流す淚。

・あしく申すと覺ゆるなり

 「石に立つ矢」の話は李將軍本人の話である。

 

 

 「汝馬の中の將軍なり。然るに父の敵に志深し、父の取られけるの邊に、我を具足せよ、と言ふに、馬黃なる淚を流して膝を折り、髙聲に嘶えけり」。

 主人を亡くした馬を叱咤して我を父の敵の許へ案内せよ、と言ふ息子とそれに應へる馬。敵を討つべく人馬一體の心となるこの部分は、胸を熱くさせる。

 

 


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*1:引用は、武笠三校訂『義經記・曾我物語』有朋堂書店、昭和2年、624-627頁、による。